2012年9月2日日曜日

引っ越しの夏


溜まった代休と夏期休暇を使って、引越をした。

結婚した年の2月、墨田区業平に引っ越した。
7月の結婚式を前に、上京して12年住んだ江古田を出た。

江古田は、私の母校を含め、3つの大学のある学生の町。
一人暮らしにとって、暮らしやすい町だった。

墨田区の業平に住むことになったのは、
妻と私、それぞれの職場の中間地点、
という以外には、理由は無かった。

スーパー、肉屋さん、豆腐屋さん、
製麺所、クリーニング店、銭湯etcと
こじんまりとまとまった商店街があり
下町の雰囲気が気に入っていた。

結婚して、間もなく妻が妊娠し、
お腹が大きくなりはじめた頃から
徐々に“地域”というものを意識しはじめた。

長男が生まれて、それは深まった。
子どもと一緒にいると声をかけられるようになった。
東 浩紀と宮台真治「父として考える」にあるように
子どもをきっかけに地域社会に入っていくことになる。
地域社会というとコトバが固いのだが、
ようは、ご近所づきあいをするようになったのだ。

商店街ということもあって、
息子、娘ともに、あいさつすることを自然に覚え、
肉屋さんでは、おまけで唐揚げ、イモ天、コロッケ等々をもらい、
スーパーでは、勝手にお手伝いをして、(品だし、陳列、掃除など)
バイト代ということで、お菓子、飲み物をいただき、
本当にかわいがってもらった。

長男の初めてのおつかいは、お店も品物もわかっていたので、
あっさりと終ったらしい。でも、後で聴くと、お店の人や、
居合わせた幼稚園のおかあさんが見守ってくれていたらしい。
ありがたいことだ。

スカイツリーの建設が、始まってからは、
映画「三丁目の夕日」のような気分で、
日々、高くなるその塔を見上げていた。

室内は禁煙にしていたので、4Fから物干しに使っていいよ、
と大家さんに言われていた屋上で、一服しつつ眺めるのが日課だった。

隅田川の花火大会も、結婚した年は、
新婚旅行で見られず、翌年は仕事だったりで、
ちゃんと見られたのは1回。
一昨年、屋上で、花火大会を、と
義父母、友人、仕事でお世話になっている皆さんを
お招きしたのだが、イーストタワーの建設で、半分見えず…。
俺の空を返せ、と思ったりした。

でも、仕事で、スカイツリー開業に合わせた番組映画など
複数の映像制作に関わることになり、
墨田区、ツリーのことに詳しくなって、愛着は深まった。

引っ越しで、ちょっとだけ、感傷があるとすれば、
家族がスタートした場所から離れる、ということなのだろう。

でも、コータが来年から小学生、
かのが幼稚園年少組へ、というタイミングの判断は
よかったと思っている。

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新しい住まいでの生活が始まった。
これまで住んで来たところよりも、
長い期間、過ごすことになるだろう。
ゆっくり、周辺を散策しつつ、楽しもう。