2011年6月20日月曜日

決して揃わないレンジャーキー

コータが年少さんからいっしょだった友だちシューくんが
お父さんの韓国転勤で、引っ越すことに。
お別れに「ゴーカイジャー」の絵柄のついた
シャボン玉セットを買っておいたのだが、
コータは、大事にしているレンジャーキーから
一番かっこいいから、とリュウレンジャーを
シューくんに渡した、と聴いた。

コータは、全てを揃えようとは思ってないだろうけど、
一本だけ足りないレンジャーキーは、
引っ越していた友だちが持っている、
というのはちょっといいな、と思う。

2011年6月13日月曜日

311以降の映画としてのスーパー戦隊

『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』


土曜の朝一で、コータと映画館へ。
一緒に見るのは、コータがはまってしまった
「海賊戦隊ゴーカイジャー」劇場版。


私自身、スーパー戦隊は、ゴレンジャーが幼稚園の時で、
ジャッカー電撃隊からは見ていた記憶が無い。
(仮面ライダーはV3、ウルトラマンはタロウ、レオf^^)


結婚後、妻は出産のために仕事を辞めるまで、
日曜出勤だったので、朝は
「マジレンジャー」・「仮面ライダー響鬼」を
眺めながら朝食を作って、食べて、
という感じだったので、その2作品は印象に残っている。
(「マジレンジャー」は家族、「響鬼」師弟関係
 というテーマだったこともある。)


で、スーパー戦隊、仮面ライダーを
また見ることになったのは、
コータが昨年、墨田区のおまつりで、
「ゴセイジャー」のショーを見たあたりから。
(ここ最近の日曜朝は、「ペンギンズ」「ゴーカイジャー」「オーズ」のコンボだ)


現在、放送中の「ゴーカイジャー」は、
ゴレンジャーから数えて、スーパー戦隊35作目で、
地球人ではない宇宙“海賊”である主人公たちが、
歴代のスーパー戦隊から「大いなる力」を
様々な形で受け継いでいくという物語の柱があり、
テレビシリーズ自体が“35番目の記念作品である。



長い前置きになったのだが、
この映画は、311以前に制作が開始され、
その途中で震災があり、5/21公開から、6/11へと延期され、

(それにともない放送中のテレビシリーズとの
 つながりもあって、内容も若干変更されたようだが)
子どものための映画として、ちゃんと出来ているなー、
とちょっと感心してしまった。


それは、大雑把に書くと
・受け継がれる意志
 (97年連載開始の登場人物が海賊である「ONE PIECE」もだが)
であり、“”の使い方であろう。


ゴーカイジャーは、これまでの34戦隊の世界観と地続きの設定で、
歴代の戦隊に変身できるというだけでもメタフィクションなのだが、



大切にされてきた歴代の巨大メカ、
ロボットのおもちゃが、奇跡を起こすシーンは
ちょっと、ぐっときたり。



また、子どものための映画だからこそ、
気恥ずかしく感じてしまうメッセージもまっすぐにセリフとして、
歴代の戦隊から語られることも正面から受け止められる。


「今よりほんの少しでもいい、未来を幸せで美しい世界にしたい」


コータは、ポップコーンを頬張りながら、
何かを感じただろうか。

2011年5月25日水曜日

Speaker Sgt. 2nd Album!

ベーシスト梅沢シゲさんの「Speaker Sgt」の2nd Album
 [FREAK! THE OTHER SIDE OF FUSION]
タワーレコードで先行発売中です
http://p-vine.jp/music/3340
今回は、カヴァー曲ばかりなので、
そのオリジナルアーティストの楽曲と
聴き比べも楽しい。
自分の楽しみのために、以下リンクf^^)






2011年5月23日月曜日

おとうさんとあそぼ、の日

土曜は、コータが年中さんになってはじめての
「おとうさんとあそぼ」の日。
普段通りの時間に一度送って帰宅して、
もう一度、時間になったら幼稚園へ。

何人かのおとうさんは、こうした行事で何度か
顔を合わせているので、軽い挨拶程度はできるようになった。

突発熱のようなものがはやっているようで、
コータのすみれ組さんは、10人もお休み・・・。
それでも、年少さん、年長さんとも遊ぶので、2時間たっぷり。
ひさびさに体を動かして、汗をかいた。        
帰る時には園室にも入って、絵や図画工作の作品を見たり、
おなじクラスのみんながせっせと帰り支度する中、
マイペースなコータ、最後に赤白帽がないと騒ぎ出すと
おなじくマイペースなもうひとり「しずま」くんが
いっしょに探してくれたり、とちょっとだけ、
コータの幼稚園での過ごし方が垣間見えた。

帰宅して、昼ご飯の後、今度は、田園都市線の市ケ尾へ。
ほんとは、妻もかのもいっしょのはずだったが、
かのが突発熱で、コータとふたりで。

「スコラ」で、お世話になったドラマーの
小田桐くんの出国(バークリー留学)記念のコンサート。
3月末までの国立音大ニュータイドジャズオーケストラの
メンバー勢揃いのまたとない機会だったので、
妻とコータ、かのこにも生演奏を体験して欲しかった。

メトロ半蔵門線は、渋谷までしか行ったことのない
コータにとって、田園都市線の車窓に広がる風景、車両は
楽しかったようだ。

なんとか、開始前に公会堂に到着したら、
席はほぼ埋まっていて、コータは躊躇無く最前列に。
楽器が見たい、とのこと。それもそうだな、とおもって着席。

最初は、小田桐くんパーカッション、
小田桐くんのお父さんトロンボーン、
お母さんがピアノの親子セッション。いいなぁ。
そして、ビックバンド演奏!
コータは、一斉に出た音圧にびっくりして、
次第にノリノリに。第二部の最初の曲、
バリトンサックスのソロからはじまる
チャールズ・ミンガスの「モーニン」からノリノリになり、
撮影OKだったとはいえ、私のコンデジを持って、
体でリズムをとりながら、撮影f^^)
舞台上の演奏者のみなさん、
ほかのお客さんの迷惑でなかったか心配ではあるが、
大丈夫そうだったので、ちょっと安心。

3月の震災直後、卒コンのなんともいえない
緊張感、ある種の祈り、別れ、様々な気持がのった演奏とはちがった
明るさや開放感が感じられた演奏だった。
こちらも2時間たっぷり楽しんで帰宅。

とーさんに付き合ってくれてコータ、ありがとう。
妻とかのはまた次の機会にf^^)

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ニュータイドジャズオーケストラの演奏

2009のメンバー

2010のメンバー

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演奏参考曲

2011年5月16日月曜日

厄除け

本厄の厄払いのため、笠間稲荷神社へ。 

妻の実家が、厄払いはそこに行っているので、 
妻の厄払いから、行くようになった。 

節分を過ぎたところで、3月に行くつもりだったが、 
震災もあってさきのばしにしていたので、

誕生日も越えたことだし、家族で。 

子鉄コータには、東武、常磐線、フレッシュひたちの乗り継ぎを楽しんでいた。 
今日は、参拝も祈祷も少なかったが、無事に厄払いが出来た。 

途中の家の屋根瓦はまだ、青い養生シートで覆われているところも多く、
笠間も震災のあとが垣間見えた。


来年は、日帰りではなく、一泊二日くらいでのんびりできたらなあ。

2011年5月6日金曜日

5/5はコータの誕生日

こどもの日はコータの五歳の誕生日だった。

震災の影響で延期になった仕事が、その日に重なり、 
準備、後処理で、明後日まではどうしても時間が作れなかった。 

4日の朝ごはんの後に、 
仕事で今日から明後日まで家に帰れないから、 
誕生日にお祝い出来ないことをコータに説明した。 
妻が事前に話をしてくれたらしく、ちゃんときいてくれた。 

1日早いけどプレゼントを渡した。 
コータは、妻と義妹といっしょに買い物をして

中身を知っているのだが、 
もどかしそうに包装紙を開けていた。 

嬉しそうな顔で、ちょっとホッとした。 
義妹と共同でゴーカイジャーのモバイレーツを。 

本人には知らせてなかったが、
ほしがっていたので、練習ノートを妻に2冊選んでもらい、
一個追加でレンジャーキーセット01をf^^)

仕事に出かける時、コータ、かの、妻が改札まで送ってくれた。 
こういう時のせつなさはなんともいえない。 

5日の誕生日は、
妻が、コータとかのを連れて、
品川のバーミヤンへ行った、とのこと。
子鉄を持つママ鉄には、割と知れたビュースポットで、
以前、わたしも行ったことがある。
また、家族で行きたいなー。


仕事は、まずは一山越えたが、
これからのこともかなり重要なので、気が抜けない。

2011年4月11日月曜日

4月に

今日から、コータは年中さんに。


自粛、というわけでもなかったのだが、
出先で何かあったら、ちょっとなぁ、と思って、
春休み期間中に遠出することもなかった。


昨日は、春休み最後の日。
都知事選投票後、そのまま、
リニューアルした錦糸公園まで、家族で散歩。



公園の桜は、きれいに咲いていて、
時おり、風が吹くと花びらがひらひらと舞った。
お花見に提灯や看板が無くても、
たくさんの人がレジャーシート敷いて、
お弁当を食べたり、お酒を飲んだりしていて、
これはこれで、いいのでは、とも思ったり・・・。



遊具が新しくなっていて、チューブ型のすべり台、
砂場には、手動のベルトコンベアや滑車もあり、
コータは、ずっと遊んでいた。
かのは、ベビーカーで寝ていることが多かったけど、
砂場にすわって、砂をさわっているのが楽しそうだった。

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夜、20時の時点で、都知事選の速報が。
私の興味、接する情報、そこに集まる人々、
その意見、主張は、自分が想像する以上に
大きくはなかったことをあらためて思い知った日でもあった。